汚れを受け入れる強さ-トイレ掃除5日目
汚いもの、醜いものや悪は
一般的に嫌われていますね。
汚れは汚れ、醜いものは醜い
悪は悪と裁かれ貶される。
・・・それは仕方のない事なのかもしれませんが
果たしてそのような「嫌われもの」のレッテルを背負う羽目になったのは
その存在が積み上げてきた「カルマ」に問題があるせいだからでしょうか?
都合の悪いことはすべて他人や「悪者」に押し付けてしまう癖
あらゆる都合の悪い現実や他者は
「悪」のみが作り上げられるものではなく
皆が作り上げた現実・他者です。
「悪」や「汚れ」「醜さ」といった概念は
この世界が作り出したものではなく
個々人が作り出した感性、個性
差別意識と言ってもいいかもしれませんね。
都合の悪いことに関しては
自分とそれとの境界線を強め
全くの赤の存在で関係がないと
別物だと言い張る。
全ては一つだとわかっていても
その相手が極悪非道で最低な何かだとわかれば
私とあんたは違うと差別や分類を始める。
この差別意識・分裂意識が
争いの一番の種になっているといってもいいでしょう。
汚いモノや悪、
醜いものを受け入れられる強さは物凄いです。